国立がんセンター。

知り合いのつてを最大限に使わせていただいて、


調べたデータを持って築地の『国立がんセンター』へ。




もう、病院の名前からして、『がん』が入ってるって…(´Д` )(´Д` )(´Д` )



そりゃぁ、恐ろしい。



しかも…



患者が溢れてるところも、また恐ろしく…



よく考えると、私もそうだけど、私ひとりに、両親、妹と付き添いも多いのだと。



下調べでは、紹介していただいて診てもらえる先生は、胃、食道内科の先生の中のトップ。ということで…




ドアを開けた瞬間、威圧感ではなく…存在が圧倒されるというか…貫禄とは違って…



なんか、すごい先生なんだと。放つオーラを感じていました。



明らかに、冗談が通じるタイプではないとwww



質問もしづらいなぁ…という感じでwww




でも、ただただ、


『この人が、命を救ってくれるんだっ!!!』と、暗闇に見える一筋のヒカリのような大切な出会いでした。




超特急で調べてくれた前病院での判断では、今すぐ開腹して、取れるなら取りたいと。



それを話したところ、



画像を見るだけで、99%お腹にも転移してる(腹膜播種)と。




この状態で、『開腹』することはまずない、危険とハッキリ言われました。




母親が『この子が助かる方法は、先生ありますか??』と、半オクターブ高くなっちゃてる声で聞くと…



『延命したいなら、化学療法しかない!!』と、断言されました。




化学療法=抗ガン剤。




これすら、結びついてなかった私は、『化学療法?!』って、なってました。勉強不足すぎです。




ただ、前の病院では、使われなかった『延命』という言葉が、頻繁に出てきてたのに、ひっかかってました。




なになに。『完治』はないってこと??



『延命』って、何??



『少しでも長く生きられるように…』って、はぁ??



ここで、また、あの衝撃の『余命半年から5年…』が、頭の中をよぎってました。



『いつから、入院されますか??』の質問に、『一番早い日で。』と、即答したのは覚えています。



では、『明日。』と。




スキルス胃がんは、『手術』できないと、完治、寛解が難しいというのは、この1週間でわかっていたので…



4人の背中が、一気に丸く、縮こまったのを覚えています!!



せっかく『築地』きたんだし、お寿司でも食べよー❤︎なんて、4人で、海鮮丼のお店に入ったけど…



あんなに美味しくない海鮮丼は初めてでした。



気持ち的に美味しくなかったのか…


イヤイヤ、本当に美味しくない店に入ってしまったんだと思うけど…とにかく、全然食べられなかった。笑



もう、やるしかないと。



どうなるか、全くわからない、未知の世界に入ることとなりました。




《キヅキ》

セカンドオピニオンは絶対絶対絶対必要。

そして、自分達の『判断』いや、『決断』が重要!!!!


そして、お医者様達にいいたいのは、『延命』って言葉は、患者にとってそんなにいい響きじゃないことを知って欲しい。『延命』=『治らない』って、連想する患者は多いと思う!!!!!本当に。

  









近くの総合病院での集中検査。

7月1日。


私の、内視鏡検査をやってくれた先生が働いている大きな総合病院に検査に行くことになりました。



不安そうな両親とともに。



ここから三日間で全ての検査をやりました。



多分、特別待遇で…



いや、切羽詰まってたのかもしれません…病状的に。



にしても…と思ったら、


私のカルテの中に、『美容師。本Dr.達も常連多数。』と、片隅に書いてあり…


私はこのおかげで特別待遇をしていただいたんだと思います。笑



確かに、幼なじみも働いている病院で、その繋がりでかなりのお医者様が、私のサロンに来てくれていて。



もちろん、私を強引に内視鏡検査まで持っていってくれたのも、その1人。



そして、彼らが来るたびに、『なんか、お腹が変なんだよーぉ。』と、言ってたのもあって…



中には、触診で診てくれたりしたんだけど…そんな甘いもんじゃなかったね。と。専門外だったのでね。笑



一瞬にして、私が『スキルス胃がん』になったことは、Dr.ネットワークで広がり…カンファレンスで、『えええ!!』ってなった友達もいれば、


電話で相談して、心配しまくってくれた友達や、サロンまで駆けつけてくれた友達もいて…



私の中では、そこまで大変な状態という自覚がなかったので、裏で『◯◯(幼なじみ)が、ヤバイってあいつが一番心配してたんだよ。』なんて、後から聞きました。



それだけ、自分には自覚がなかったんですよね。



電話で、『症状もだけど、メンタル大丈夫??』って、心の心配されたりして、(オイオイ。大袈裟だよ。)なんて、思ってたけど、



後から聞くと、年内まで生きられるか…なんて話が出てたらしい。笑





みんなのおかげで、一気に全ての検査をして…



数日後にこの病院で出された、私のこれからの内容は、


7月10日には、開腹して、胃を切除したいと!!!!!!胃を開けてみて、取れそうだったら取る。取れない状態だったら、閉じる。



閉じて、抗ガン剤治療をする。




唐突すぎて、突然すぎて…



両親も私も妹も姉も、内容をしっかりとは聞いていたけど、半分(イヤイヤ、開けないでしょとおもいながら)聞いていました。




『お腹は開いちゃ行けない!!』

『お腹は開けちゃ行けない!!』




母親が、必死で調べたデータの中で、これだけは確固たるものとしてあったみたいで、この、短期間に調べてもらったデータを全てもって、セカンドオピニオンに行くことを決めました。



《キヅキ》

お医者様の友達がたくさんいてよかった。笑

でも、専門外はわからないんだってことも知った!!笑






















ガン宣告の次の日にやって来た母。

振り返って、ブログを書いているのですが…



思い出しても、この日が強烈に印象に残っています。



住んでる世界が…

今まで見ていた世界が『ガラッ!!』と180度、変わったから。変わって見えたから。



この日のことは、強烈な印象として残っています。



仕事終わりに、『今、吉祥寺に、むかってます。』と、母からのメール。



『いやいや、そんな、すぐ死ぬわけじゃないから…大丈夫だよ!!』なんて、返信して、母が来るのを待つことに。




仕事(まだ、この時点でスタッフには話してません。)終わりに、いつものように駅までいき、いつものようにダラダラブラブラと買い物するつもりが、



いつもの…



毎日ある、変わらない光景が…



同じ空気、同じ雰囲気…全てが昨日と、何も変わっていないのに…



私には、『モノトーン』にしか見えなくなってました。




涙が溢れて来てるのを我慢して…



グルグルしながら母を待っていたのを覚えてます。




茨城から出て来た母親と合流。『山下キヨシ』かっ!!って思うほどの、荷物を抱えた母がいました。両手と、背中にすごい荷物で…



昨日とは違って、どこか吹っ切れて…『◯◯ちゃん❤︎』って、手を大きく振ってて。




その姿に、止めていた涙が溢れて溢れて止まらなくなりました。




やっと、『現実の現状に恐怖』を感じた私と、1日で、『気持ちを切り替えてきた』母。



切り替えたと言うよりは、きっと、自分が落ち込まない。って決めたんだと思う。



『もう、闘うしかないんだから!!大丈夫!!大丈夫!!』



その、明るさが、辛くて、申し訳なくて…



オエオエ泣きました。




《キヅキ》

『世界がひっくりかえる。』って、『想像しなかったことがおこる。』って、本当にあるんだと。そして、その日をさかえに、今まで見てきた、ごく普通の日常が違うものに見えることを知りました。


そして、母親の大きさを知りました。本当の、大きな愛。この人と、私のへその緒は、繋がってたんだと実感しました。


にしても、小さなカラダに、これでもかというくらいの、荷物を抱えて茨城からきたと思うと…本当に、今思うと、ちょっと笑えました。笑






ガン宣告の夜の私のマンション。

突然の『スキルス胃がん宣告』をされ、何事もなかったかのように…



スタッフ、お客様に、バレないように、過ごし…



…てるところに、妹が登場。



『鍵かして!!お父さん、お母さんも向かってるから。』と。



さすが妹。(突然だと部屋が汚いだろうという、優しさ。笑)



仕事を終えて、マンションに帰ると…



なんだか、すでにオーラが暗いというか…異様な空気を放つ両親と、妹がいた。



  

一通り、どういうことなのか…先生に言われたことを、たんたんと全部話し。



少しおくれて、姉と、彼氏も、到着し…



また、一通り同じ話をした。



ドヨーンとした空気の中で。




8畳の一部屋に、大人6人が集まり、『ドヨーン。』とした空気の中…話す話が重すぎて、それだけで、苦しかった。苦しすぎた。



いつも、笑わせる側の私も、さすがにここでは、全く笑わせるネタとか、笑うとか…笑顔すら作れなかった。



まぁ、こんな時でも、『ご飯食べなさい!!』という、母がいて、質問しながら、聞きながら、食べながら、何が起こったかわからない状態で、話してたのを覚えています。



さすがに、『パニック』になってたというか、『現実』と受け止められてない私だったけど、私のマンションに家族が全員集合してる現実から、どうやっても抜け出せず…




『余命が、短いんだって…』と、言った瞬間に、大粒の涙があふれでたのは忘れません。



怖くて、泣いたのは、初めてでした。



そして、自分のために泣いたのも、初めてだった気がします。




《キヅキ》

家族ってすごいな。と。

家族の『愛』ってすごいな。と。

何か、誰かに起こった時は(イイ事も、そうでない事も)、こういう、『スーパーマン』みたいな人でいたいと思った!!

そして、こんな状況でも、『ご飯食べなさい!!』と、いう母の愛はすごいと思った!!

小さい頃から、両親にとがめられる時は、いつも下を向いて『泣き真似』の演技をする事に全力を注いでたけど、今回ばかりは、はじめて『本泣き』だったわ。笑












突然の『胃ガン』宣告。

初の内視鏡検査を終えて、1週間後。



まぁ、小さい頃から、『大病』『大怪我』…など、全くの無縁で生きてきたので、もちろん、この日も、『やっぱりねーただの胃腸炎だってーて。』くらいだろうと。



そうそう。



また、病院の近くのバス停に、「美味しいパン屋さん」があるから、お昼にスタッフと食べるのにたくさん買って帰ろー♪なんてしか考えてなかった。(胃が痛くても、すごい食い意地でしょ。笑)




ドア開けて、


『こんにちはー!!』なんて、いつもの明るさで、椅子に座って、「さぁさ、先生、どうでしたぁ??」なんて、ドキドキもせず話しを聞く体制に入ってました。



先生。『ちょっと、検査結果が…あまり、いいものではなく、胃がんの可能性があります。大きな病院で、もっと精密に検査をすぐにしたいのですが、ご両親に今すぐ電話出来ますか??』と。



私。『あ。はい。』(自分のことと認識してないのか、ポカッーンとしてしまったのか…かなり、冷静。)



先生。『胃がんでも、スキルス胃がんって知ってますか??』



私。『いや、知りません!!』



先生。『胃がんの中でも、進行が早いガンです。』『両親に伝えられますか??』と。




何が起きたかわからない!!



私のことなのかわからない!!



これ、夢の中??



と、思いつつも、案外冷静に母親に電話した私がいました。



『お母さん、今、電話大丈夫??ちょっと、外でて。今、先週やった内視鏡検査の検査結果で、胃がんの可能性があるから大きな病院で早急に調べたいって。で、胃がんでも、スキルス胃がんの可能性が高いんだって。そういうことだから。7月1日に◯◯病院で、説明と再検査することになったから、開けといて。お父さんも。』と。



まぁ、冷静に淡々と伝える私と、電話の向こうの母のパニック状態に温度差があったのは言うまでもなく伝わってました。



先生の部屋を出て、お会計と、紹介状を待つ間、初めて聞いた『スキルス胃がん』について、調べてる自分がいました。




『余命半年から5年。』

早期に見つかって手術が出来たとしても、余命が短いと。




その、文字が、自分のなかに強烈に入って来たのを覚えています。ガタガタして、足が自然と震えていたのを覚えています。



恐怖のドキドキが全身に感じたのを覚えています。



さすがに、パン屋さんに寄ることなんて、すっ飛んで…バスに乗って職場に戻ってる自分がいました。



バス降りて、姉からの着信で、やっと自分に起きた『大変なコト』について、判断がついたのを覚えています。自転車置き場の隅に隠れて、電話したのを覚えています。



その、5分後には、何にも変わらず、お客様の『髪』を笑いながら切ってる自分がいるのにはビックリしました。よかった、この仕事で。



そして、心配してたスタッフには、『なんか、胃が荒れてたみたいで…』くらいでしか、この時点では伝えませんでした。



宣告されて、自分の心が乱れまくってたけど…


世界がひっくり返ってしまっていたのに…



何にも、全く変わらない日常がここには流れていました。




《キヅキ》

『ガン宣告』って、昔と違って、いきなり突然、ド直球で、来るもんなんだと。ドラマと、現実は違うんだね。笑

そして、たった一人のお医者様が放った『言葉』一つで、私と、家族の心がこんなに、乱れ、恐怖と、どうしようもない感覚に陥るとは…

『言葉』って、人を幸せにする力もすごいけど、人をどん底にまで追いやる力もすごいんだと気付いた。







はじめての内視鏡検査。

22歳の時に、親友を『ガン』で失くしたので、それから、毎年、自ら進んで、市で行っている『人間ドック』に行くようにしていました。

 


まあ、『オールA』の成績で、悪いところ、再検査して下さい。なんてとここは全くなく…



2014年も、毎年恒例の『人間ドック』を受けようとしてました。


一週間後に、人間ドックを控えていたときに、たまたま、友達のお医者様(友達でも、尊敬)が、髪を切りにきて、最近の身体の話をして、『胃が、キュッーー。』ってなる。という話をしたところ…



人間ドックが、バリウム検査だと、胃潰瘍とかだと危ないから、知り合いのところで『胃の内視鏡検査』頼んであげるよ!!と。



えええ。いいよー。なんて、思ったけど、スタッフの勧めもあって…直近で診てもらうことに。



まぁ、大したことはないだろうと…胃潰瘍か…胃腸炎か…あぁ、ピロリ菌かなぁ。くらいの気持ちでした。



初めての『内視鏡検査』だったけど、そんなにきつくなく、先生が見てる画像を横目で見ながら、『へぇー胃の中ってこんなになってるんだぁー。』なんて、関心してました。


私の見た感じでは、『胃の中が真っ白だった気がする。』とだけで、医者じゃないし…正常な『胃の内部』もわかってないし…



むしろ、この時点で、『ガン』なんて、1ミクロンも思ってないので、スルーしてましたよね。多分、この時点で、やってくださった先生は、『ヤバイっ。』って、気がついていただろうけど…そんな気配は全く感じさせず、来週また結果を聞きに来てください!!と。



いつもと変わらない、楽しい毎日を過ごし…




一週間後…




《キヅキ》

この時に、医者の友達が『内視鏡検査やったほうがいいよ!!』って、進めてくれなかったら…予約を直近で取ってくれなかったら…スタッフの一押しがなかったら…。

と、本当に、この流れに感謝しています!!

医者に行くのをためらってるなら、友達の医者とか(そんなに友達に医者っていないよね…)、医療知識がある人とか、なくてもいろんな人に、話すといいと思う。「自分の周りにこんな人がいたよー。」ってのだって、情報になるからね!!








少しずつ出ていた、胃のサイン。

胃がん』だと告知される前の、5ヶ月くらい前から、

変なお腹の膨らみと、便秘とともに、一つだけ、『胃』に起きていたサイン。


朝起きて、朝食をと…


目玉焼きと、トーストと、紅茶と、ヨーグルト。


ほぼ、そんなメニューでした♪楽だしね…


毎日、ほぼ毎日、

トーストを食べ始めて、半分くらい食べると、


『ぅゔぁぅ、あっ、痛ってぇーー!!』って、強烈な胃の痛みが30秒から1分くらいあった。


『ぅゔぁぅ、あっ、痛ってぇーー!!』って、


言うくらい痛いんだけど、その、数十秒我慢すると、他の23時間59分の間に、そんなことになることはなく、また、楽しい日常に戻る。


普通に仕事して、笑って、ご飯食べてーって。


今でも、『この時に、もっとしつこく病院に行ってれば…』『あの…ヤブ医者が便秘と判断しなければ…』『身体からの声をきいてれば…』…などなど。


本当に後悔しています。


国立がんセンターの先生に、『この時にわかったとしても、今とあまり変わりませんから、後悔しないように。』と。


…そうですね。


と、思いつつも、今だに、しつこく、この時に…と思い出す私は、根深いというか…素直ではないというか…


どっちかというと、『クッソー。』って、思ってしまうのです。チッ。


《キヅキ》
このころ、ホットサンドにはまってて、美味しすぎて、『痛み』より、『美味しさ』が、勝ってしまってた…
悶絶するくらいの傷みは、絶対、何かの病気だよ。←いや、そんなの当たり前だよ。笑